日本は移民を送り出す国だった

橋口譲二『ひとりの記憶 海の向こうの戦争と生き抜いた人たち』(文藝春秋、2016)の感想を記しておきたい。

この本は写真家である著者が1994年から2000年にかけて訪れた世界各地で生き抜いてきた日本人86人から10人を選び、取材インタビューや著者のコメントを文章にしたもの。各国に多くの日本人がいた中で、会う人を選ぶ基準は唯一、「できるだけ日本と馴染みが薄い地域や街で暮らす人々であれば誰でも良かった」という。戦後ないし現代の日本や日本人との接触が多い、そのことで記憶が書き換えられた人たちを避けるためである。

現地に永住するに至った経緯は、日本人以外と結婚したなどさまざまだ。

この本全体から得た印象を一言でいうと、「日本は移民国家でもあったこと」である。そして、日本のアジア太平洋への進出は、軍事的な海外侵略が問題となるかなり以前、恐らく明治のある時期から始まっていたのだろうことも、個別のインタビュー対象の人の半生から垣間見えた。

キューバ移民の原田茂作さんという人とのインタビューから引くと、
「キューバの日本人移民はペルー、メキシコ、などからの転航組、父親に呼び寄せられた呼び寄せ組、そして移民会社で国策会社の海外興行株式会社の手配師と大きく三つのルートがあった。(中略)
『デッキ・パッセンジャー』といって船は客室利用ではなく、甲板。(中略)
「原田さんらを乗せた船はホノルル、ヒロ(注:ハワイ島)、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、メキシコ、パナマに寄港して行く。」
そしてハバナに着いた。

引用文中で気になった「海外興行株式会社」はウィキペディアにはないが、ネット上ではヒットする。何しろ国策会社だ。1918年に設立されたらしい。

登場する人たちのほとんどは無名の庶民だが、北京に住む中村さんという女性は、運命の巡り会わせで国の権力中枢の近くに居合わせることになった。15歳で看護婦になる勉強のため満洲に渡り、後に結婚するユダヤ系ドイツ人医師と八路軍の野戦病院で知り合った。当時の彼女は八路軍の何たるかも知らなかったが、まだろくに医学や看護の知識・経験もない頃に入ったのが八路軍だったことが幸運だった。周知の通り、後に中国共産党は国民党との死闘に勝利して政権を奪取する。

八露軍時代から定年まで看護婦を勤めた中村さんは「人民の英雄」であり、しかも夫は革命後の中国社会の医療体制の基礎を作った「大英雄」。新中国誕生間もなく肝炎が蔓延した頃、肝炎の国産治療薬を開発したのもドイツ人の夫だった。そんな中村さんだけに、今は一人暮らしだが、年金をはじめ国家の手厚い保護がある。ただ、そうした国家中枢に近い立場だけに自由にものを言うのは難しい。

――今日はここまで。この中村さんは、この本に収められた人々の中で例外的に国家上層部に近い存在となった人。大部分はもちろん無名の庶民。しかも、巻末で(インタビュー文こそないが)写真とキャプションで1人につき1ページ当てられた人々の中には、「無国籍で日本語もロシア語も殆ど話せない」男性や「無国籍で韓国語も日本語も話せない」女性、「氏名・生年・出身地不詳」の女性も収められている。

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