2つの神道と天皇制

トーマス・カスーリス著『神道』(ちくま学芸文庫、2014)を読んだ。

著者は、カバーの紹介文によれば「アメリカにおける日本宗教思想史研究の第一人者」とのこと。もちろん原著は英文で、想定された読者は、日本のことをよく知らないアメリカ人大学生。

でも、馬鹿にしてはいけない。僕はこの本を読んだことで、以前よりも神道のことがわかる気がした。

著者は日本の神道を、A:「実存としての」神道=「スピリチュアリティ」としての神道と、B:「本質主義的」神道=「religion(宗教)としての」神道に大別する。(この二分法自体、サルトルの「実存は本質に先立つ」という根本命題に由来するのは明らか)

前者は、多くの日本人が初詣で神社にお参りに行ったり、あるサラリーマンの例として、朝の出勤途中の道すがら、何の神が祀られているとも知らず毎朝拝んでいる…といった、生活の中に浸透した、古代の自然崇拝や祖先崇拝から連綿と今にまで続く、ある種の「日本人の精神と生活態度のあり方」をいう。

一方、後者は過去2世紀に起こった、平田篤胤以来の、一応は「教義」を有する、いわばイデオロギーとしての神道をいう。

天皇制については、次のように言っている。

・天皇制についてのジレンマは、天皇が神道の最高の祭司であると同時に、名目上の国家元首であることに由来する。(中略)
この法律的観点からすると、日本の天皇が果たす役割は、今日、君主制をとるヨーロッパの民主主義国家の王や王女と、あまり変わらないということになる。

・しかし他の選択肢もある。その一つは、天皇制を完全に廃止するというものだ。(中略)

第二のありうべき選択肢は、天皇からすべての政治的機能を奪い、ローマ・カトリックにおける教皇に類似した存在にするということだろう。(中略)

第三の選択肢は、天皇から宗教的な、神道に関わる機能をすべて奪うというものだ。この場合、天皇の役割は現在のヨーロッパの君主たちに近いものになる。

・十九世紀に神仏習合が終末を迎え、実存的な神道的スピリチュアリティはかつての哲学上の正当化を、ほとんど失った。その空白を埋めたのが、国家神道イデオロギーだったわけである。

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