1921年の暗殺者

中島岳志『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房、2009年)を読んだ。

著者がこの本を書くきっかけになったのは、2007年の論壇を賑わしたという、著者と同じ1975年生まれのフリーライター、赤木智弘の「『丸山真男』をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」という文章であるという。

31歳にしていまだフリーターである屈辱を生きる人間にとって、戦争になればまだお国のために死んで、靖国なり慰霊所なりに英霊として祀られ、尊敬されるだろうに…。

同時代を生きる同年代の人間にある(自分にも共感するものがある)こんな社会への怨嗟や自身が生きることの鬱屈。そこから中島氏が思い出したのは、20歳の頃に読んだ橋川文三『昭和維新試論』中の、昭和維新の先駆けとしての朝日平吾だった。朝日は、1921(大正10)年に安田財閥の創設者、安田善次郎を殺害し、その場で自害した。満31歳だった。

橋川によれば、朝日は、彼より以前の世代の日本人が抱いたことのない感性、世界観を抱いていた。「朝日の遺書全体を貫いているものをもっとも簡明にいうならば、何故に本来平等に幸福を享有すべき人間(もしくは日本人)の間に、歴然たる差別があるのかというナイーヴな思想である。そして、こうした思想は、あえていうならば、明治期の人間にはほとんど理解しえないような新しい観念だった」

ここで橋川の慧眼が直覚したのは、精神史において現代とそれ以前を画する大きな亀裂であるように見える。

飛躍をあえて承知でいえば、時代も、国も、史実とフィクションの別も飛び越えて言うなら、1970年代のニューヨークが舞台の映画『タクシードライバー』の主人公トラヴィスは、大正後期の朝日の延長上にある。

著者の中島氏に戻れば、朝日という、正面から対峙するのが難しい人物とあえて向き合って、よくこの本を書き上げたと思う。著者はその後、秋葉原事件の犯人・加藤智大に向き合うことになる。

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