移民でもホワイトカラーになれる街

表題は、ニューヨークで働いていた1980年代後半に、この街が東京(ないし日本)と比べて、進んでいると思ったことである。

週に1度、初級の日本語を教えに行っていた長銀(後に破綻して今の新生銀行になった)ニューヨーク支店では、外国なまりのある東欧出身やチャイニーズの行員も珍しくなかった。ある中国系の女性は、NY州の公認会計士試験(司法試験とともに、日本ほど合格率は厳しくないが)に受かったことを喜んでいた。

以前、外国人医師はアメリカで医学部に行きなおさなくても、医療を行える(州の医師免許試験と、TOEFL550点をクリアすれば)ことを書いたように、外国人に開かれた門戸は日本よりかなり広い。当時、日本では実現が困難な現実を思ったものである(今では少しは改善されているだろうが)。

ホワイトカラーでない多くの移民、例えば勤め先のリセ・ケネディが入っていたビルで売店をやっていたコロンビア人(だったか、南米出身の、少しアジア的な顔立ち)のおじさんは、もう何年も毎日朝7時半から12時間も働きづめだ、と言っていた。

また、5番街と44丁目ウェストの角の銀行の前に屋台を出して、うまいホットドッグを売っていた小柄なおじいさんは、レバノン移民。成功して、大学教授や医者(弁護士だったか)になっている息子たちは、「『もうホットドッグ売りをやめたら』と言ってくれるが、自分はこれが好きだからやめない」と言っていた。

こうした移民たちの中で、彼らの子供たちだけでなく、移民1世でも学位を取ったり、コースを履修すれば、ホワイトカラーになれる。また、専門職にも就ける。「スキルさえあれば、誰にも機会が開かれている国」――アメリカ人たちが信じている、祖国の誇るべき美点である。

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