アメリカが「黒人大統領」を恐れた日々――1988年の民主党予備選

ニューヨークにいた4年間で、アメリカの中から経験した同国大統領選挙が、1988年、パパ・ブッシュが大統領に当選した選挙だった。あの年、1年間もの長丁場にわたる選挙戦で最も緊迫したのは、まだ予備選挙戦の半ばで、民主党候補の本命だったハート上院議員が出馬を断念して、リタイアした直後の2週間ほどだった。――と、僕自身は思っている。

コロラド州選出のハート上院議員は、ドイツ系の苗字を改名したことを隠していたことが暴かれたりしたものの、4年前の民主党予備選で善戦していたし、若いヤッピー世代の代表と言われ、苦みばしったハンサムだった。しかし、若いモデルとマイアミかどこかのリゾートでモーターボートに乗って遊んでいるところを盗み撮りされ、この女性スキャンダルであえなく戦線離脱を余儀なくされた。

2位以下は団子状態のレースだったが、世論調査の支持率で大差を付けられて2位だったジェシー・ジャクソン師が、ハート候補の離脱直後、民主党候補のトップに躍り出てしまったのである。「…ひょっとしたら、アメリカ史上初の黒人大統領が誕生するかもしれない」。誰しも、こう思った――期待したか、恐れたかは別として。

僕がその頃、一番親しかった黒人の友人アリは、民主党支持が圧倒的に多い黒人であり、選挙人名簿には民主党員として登録しているものの、政府の補助などによる結果の平等よりも自助努力とそれに応じた結果を優先するキャピタリストcapitalistであり、共和党のレーガン、ブッシュを支持していた。しかし、この時ばかりは違った。ジェシー・ジャクソンが民主党候補の首位に立った時から、彼の支持に転向したのである。この機会を逃せば、黒人がこの国の大統領になれそうな機会は半永久的に訪れない、と考えたのだろう。

彼が「ジェシー・ジャクソンを大統領に!」というバッジを胸に付けて、僕と一緒にミッドタウンを歩いていたとき、いかにもWASPのエグゼクティブという、長身ですらりとした銀髪の白人紳士も同じバッジを付けていて、二人がにっこりと顔を見合わせる――そんな光景に出くわしたこともあった。

しかし、「ひょっとしたら、史上初の黒人大統領が誕生するかもしれない」という考えは、アメリカ全体だけでなく、リベラルな人が多いニューヨークでも、多くの人にとっては「恐ろしい」というべきか、できれば現実になるのは避けたいイリュージョンだった。ジャクソン支持のバッジを付けていた銀髪紳士のような白人は、やはり少数派だったのである。

ジェシー・ジャクソンが民主党候補の首位にいた期間は、ごく短かった。彼よりも下位にいたデュカキス・マサチューセッツ州知事が、2週間ほどで軽々と抜き去ってしまったのである。すると、都心でも郊外でもニューヨーク中にみなぎっていたピリピリとした緊迫感が、どこへともなく消え去ってしまったのである。――このことは、どんな新聞・雑誌で読んだことも、ましてやテレビ・ラジオで聞いたこともなかったが、僕自身がこの間、全身の五官で感じ取っていた紛れもない「真実」である。

この記事へのコメント

2007年09月24日 01:19
上記記事の僕自身の記憶に基づく誤りを訂正します。最近、当時のもう少し正確な経緯を確かめたくなってウェブで検索した結果、冒頭の段落は不正確でした。
 ハートの女性スキャンダルの発覚は1987年5月。その後、メディアに騒がれ大統領予備選からリタイアし、民主党は本命不在の団子レースに。ハートがその後、レースに復帰したようですが、もう遅かった。1988年はぱっとせず。5月、ジャクソンがミシガンの党員集会で勝利して一躍トップに躍り出たが、2週間後のウィスコンシン予備選などでデュカキスに逆転された。
 ――といったところが正確なようです。上記の記述(記憶)は1年間の時間をすっ飛ばしています。

この記事へのトラックバック