テーマ:移民

2つの移民会社

少し前に読んだ本に出てきた日本近代の2つの移民会社が頭の中で一つになっていた。 榎本武揚が創業し、曲折を経て現在もあるのが「南洋貿易株式会社」。 大正時代に設立された国策殖民会社が「海外興行株式会社」。
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移民を出した日本4:海に国境なし

平得栄三さんは1924年、沖縄県与那国島生まれで、取材の1996年当時73歳。台湾南部の世界有数の港湾都市、高雄の中心街から少し離れた所に住んでいた。 今でこそ1人だが、兄弟全員6人とも台湾で働いていた。その頃、台湾は日本だった。 中学を出て漁師になったが、台湾の花蓮で入隊。本島の沖縄戦があまりに凄まじく、向かうのを断念。戦場を…
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日本は移民を送り出す国だった3

ミクロネシアへの旅に出たとき、著者の橋口氏には「特にあてはなかったがどの島にも、必ず戦争と関係のある日本人が居るという確信めいたものはあった」。 1996年の取材時72歳だった秋永正子さんは1925年、3人姉妹の末っ子としてポナペで生まれた。お父さんが日本人で、お母さんはポナペの酋長の娘だった。20歳で終戦になり家族5人で日本に引…
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日本は移民を送り出す国だった2

1998年の取材・撮影当時71歳だった佐藤仁さんという男性は、ロシアのカンスクという、カザフスタンに近い中央シベリアの町に住んでいた。北海道に生まれ育ったが、12歳の時、一家で樺太に渡った。その頃の樺太には40万人余りの日本人や多くの朝鮮半島出身者が住んでいた。18歳で終戦。引き揚げ命令の対象は子どもと女性に限られた(成年男子は貴重な労…
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日本は移民を送り出す国だった

橋口譲二『ひとりの記憶 海の向こうの戦争と生き抜いた人たち』(文藝春秋、2016)の感想を記しておきたい。 この本は写真家である著者が1994年から2000年にかけて訪れた世界各地で生き抜いてきた日本人86人から10人を選び、取材インタビューや著者のコメントを文章にしたもの。各国に多くの日本人がいた中で、会う人を選ぶ基準は唯一、…
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移民でもホワイトカラーになれる街

表題は、ニューヨークで働いていた1980年代後半に、この街が東京(ないし日本)と比べて、進んでいると思ったことである。 週に1度、初級の日本語を教えに行っていた長銀(後に破綻して今の新生銀行になった)ニューヨーク支店では、外国なまりのある東欧出身やチャイニーズの行員も珍しくなかった。ある中国系の女性は、NY州の公認会計士試験(司…
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