テーマ:戦後

「8・15革命伝説」の皮相

直前の日記に引用した箇所のすぐ前に、以下のようにある。 (前略)ところが、米谷匡史の巧みな考証によれば、46年3月6日にGHQの指示により、新憲法の骨格が「憲法改正草案要綱」として発表されると、丸山の思想にも大きな転換がおこり、「超国家主義の論理と心理」はその日から同月22日までのあいだに執筆された。この段階で、右の憲法研究委員…
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戦前との断絶

mixi「つぶやき」の続きを書くことにした。 3つのつぶやきは以下の通り。 ************* 以前から持っていた『パル判決書 上』(講談社学術文庫)の正文を読みかけたが、すぐに挫折。「侵略戦争の定義」の箇所さえ読了できず。学者的、義務的情熱がないと、とても読めそうにない。読書の楽しみ的なものはないので。 …
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セキヨウ妄語と戦後思想

手元にある返却前の本は、どれも大なり小なり飛ばし読みだが、改めてまともに読もうと思った一冊(木田元『哲学と反哲学』)だけはまだ返さないことにする。 返す本のうち、二冊だけ触れる。加藤周一『夕陽妄語 第一輯 1984・7~1987・12』(朝日新聞社、1997)冒頭の振り仮名から、「ゆうひ妄語」ではなかったことを知った。新聞連載中…
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日本国の縮図としての宮中晩餐会

以下は橋川文三コミュに書いたコメントの再録(はやりの言葉で言えば「コピペ」)。 ****** XXさん & 皆さん 「生き残った昭和天皇のヒエラルキーはやはり生き残っているのです。そのヒエラルキーを上へ上へと這い登ろうと努めている官僚群は次から次に現れ出て、その周辺に大衆が群がっているのです。これが戦後の日本のエ…
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高度成長と生活革命

『戦後日本スタディーズ②「60・70」年代』(紀伊國屋書店、2009年)より: ・小森陽一によれば、吉田拓郎、井上陽水、小椋佳、松任谷由実は、文化史的な「反革命四人組」だった。「傘がない」(1972年)や「中央フリーウェイ」(1976年)など、徹底して自己完結した私生活主義的な歌の世界が、一気に社会全体を覆ったから。 ち…
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フリーウェイからクリスタル

先日、1980年代に支配的になった、荒井由実=松任谷由実=ユーミンの「中央フリーウェイ」的な若者の感性・世界観に対して、姜尚中が同時代への苦々しい記憶を語っていたこと思い出して書いた。 そこから思い立ったのが、中央フリーウェイと言い換えられた中央高速道路(後に中央自動車道)そのものの建設、開通という物質的基盤だった。 ユ…
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中央フリーウェイ

深夜に帰宅し、NHKをつけていると、今井美樹がカバーして歌っている「中央フリーウェイ」が聞こえてきた。♪中央フリーウェ~イと、さびの部分を今井美樹が歌うと、妙に甘ったるい声で、僕には少し気持ち悪かった。 そして、この曲の題は「和製英語の傑作では」と思った。 有料の高速道路「中央自動車道」のことを「フリーウェイ」と名づけてしま…
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力道山vs木村政彦

今、図書館から借りている本の1冊が、増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社、2011年)。 2年前にこの本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した後の雑誌インタビューで、著者が熱っぽくそのエッセンスを語っていたのを読み、当時住んでいた地域の公立図書館から借りようとしたが、2度とも「19人待ち」といった状態で、予…
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「思想犯」としてのあさま山荘事件

以前、図書館から借りて読んだ本を思い出した。(書名、筆者は失念したが、調べればわかる) 1972年の事件当時、幼かったので覚えていないという年代の弁護士さんが、ある時期、この事件の国選弁護人に選ばれて知ったことは、刑事事件の常識、大前提に反したまま起訴や審理が行われていた、ことだったという。 山荘からの銃撃によって警察官…
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予め敗北した世代

30年前に死んだ思想史家・橋川文三は、晩年の三島由紀夫に最も大きな影響を与えた同時代の思想家である。 その橋川が処女作のテーマにした昭和十年代の日本浪曼派、特にその中心だった保田與重郎に「なぜイカレタのか?」、素朴な疑問、純粋な興味を覚える一方で、「そんなことにどんな意味があるのか?」という自問もなくならない。(もし僕が、橋川に…
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「一人AKB」だった頃の聖子

3度目の結婚がニュースになった松田聖子の人気が、30年前のアイドル絶頂期の頃いかに凄かったか、若い世代に伝えようとしているうちに浮かんだのが、「一人AKB」という言葉だった。 「一人でAKBグループ全員87人だかに相当する人気があった」ような気がしたので。 改めて調べていないが、キャンディーズはすでに解散、ピンクレディー…
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三島由紀夫とフラメンコ

しばらく前の日記「三島由紀夫と橋川文三」を読み返して思い出した。 同名のタイトルの本の著者・宮嶋氏は、三島の晩年の右傾化に最も影響を及ぼした同時代人は橋川文三でないか、と推定している。これを読み返して思い出したのが、板坂剛氏の書いた三島由紀夫論2冊の中の、三島とフラメンコをめぐるエッセーである。 (以前、読了後間もなく書…
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オリーブ・オイルって

今はフロリダ在住で、イタリアにも住んだ元飲み友達Anragiさんによれば、イタリアではバターやマーガリンの代わりにパンにオリーブ油を塗るのは普通で、至る所でオリーブ油を使うという。 僕自身も今は、一般のサラダ油の代わりにオリーブ油を使っている。 ところで、半世紀も前、「オリーブ」ないし「オリーブオイル」といえば、TVアニ…
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戦後史の分水嶺

昨夜、40年も前のアイドル、青春スターたち(現在58歳の岡崎友紀、吉沢京子、早瀬久美と61歳の中村雅俊)がTVに出ていたので、前者3人の女優が出ていた青春物と中村雅俊の主演シリーズとの間には、「連合赤軍からあさま山荘」が挟まっていることを意識した。 もう少し広げると、東大全共闘による安田講堂篭城が1969年1月。その年の東大入試…
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岡崎友紀、吉沢京子、早瀬久美

日テレ『深イイ話』にこの3人が出ていた。 一言で言えば、40年前の元祖アイドル。(たまたま3人とも僕と同学年。早瀬久美もそうだとは、番組を見た後にググってから知った) (寝ないといけないのだが、帰宅後、遅くなってやった翻訳の後、すぐに寝てしまうのが癪なので…) 岡崎友紀は、なんと、46か月、丸4年近くブロマイドの売上…
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「メディア」から見た「あさま山荘」40年

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1931916&media_id=2 これも、書くのが遅れ気味だが(やるべき翻訳があるが、やる気が起こらず、関係ないことばかり書いている…)。 NHKが、1週間ほど前に、自社のアーカイブズと民放局から借りた映像を合わせて、40年前の「あさま山荘人質・…
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談志と石原

石原都知事“盟友”談志さんとの秘話明かす http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1825826&media_id=42 物議を醸す発言の多い2人。 この半世紀の日本の有名人の中で個性が際立つ2人ではある。
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終戦直後の日本経済

今年の厚生労働白書の一節(「第2次世界大戦後の復興と生活困窮者対策」)より。 <戦災により都市住宅の3分の1を焼失し、日本全体では、工場や建物、家具・家財など実物資産の4分の1を失った…。> 戦前期と比較して、一人当たり実質個人消費も、一人当たり実質国民総生産も、60%前後。 1945年11月の復員および失業者数…
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60円のドリンク剤と高度成長

近所のドラッグストアにある各種ドリンク剤の中で一番安いのが一本60円で、時々買っている。 富山の中小医薬品メーカーの製品で「指定医薬部外品」とある。大手のドリンク剤で普通一番安いのが「オロナミンC」(炭酸飲料)でたいてい100円か110円くらい。他のメジャーなドリンク剤では、リポビタンD、新グロモント(ともに医薬部外品)などは、…
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「妖怪人間ベム」は1968-69年だったのか

亀梨和也「妖怪人間ベム」実写ドラマで主演!ベロに鈴木福、ベラに杏!新キャラクターも登場するオリジナルストーリーに! http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1702136&media_id=14 このニュースに反応。あの独特の暗~く物悲しい雰囲気にはまって見ていたけれど、実に43年!も前だった…
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グリコ森永事件:対照的な本部長二人

NHKの「未解決事件『グリコ森永事件』」を見た。(事件はまず1984年に発生) ツイッターで他の方のツイートに反応したが、リンクさせてないのでこちらにも改めて。 大阪府警の当時の四方(しかた)本部長は、キツネ目の男への職務質問を許さなかったことで、現場の刑事たち全員に恨まれているのに、今回の番組のインタビューにも堂々と出…
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近代日本の「40年周期説」

『1985年』(吉崎達彦、新潮新書、2005年)という本の第1章の冒頭に「日本の国運における40年周期説」が掲げられていた。 ①1868年から1904年(明治維新から日露戦争まで)上り坂 ②1905年から1945年(日露戦争から第二次世界大戦の終戦まで)下り坂 ③1946年から1985年(戦後からプラザ合意まで)上り坂 …
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1980年代の京都のキャンパス

は、全共闘(ないし新左翼)が元気だったんだ! 1960年生まれの佐藤優氏の『私のマルクス』を読んで知った。 鈴木宗男との関連で逮捕、起訴され、公判中の佐藤氏は埼玉出身だが、同志社大学の神学部で学んだ。「思想家」ではない人の思想的自伝を読まされている感も覚えたが、けっこう面白かった。 この本によれば、佐藤氏がいた1980…
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現代日本文化の危機

坂井修一の最初の短歌論集『斎藤茂吉から塚本邦雄へ』(2006年12月)を読んだ。 興味があったのは塚本邦雄のほうである。斎藤茂吉は、僕にはまだ遠い。先日読んだ関川夏央の短歌論が、斎藤茂吉と釈迢空の死の翌年、編集者だった中井英夫が中城ふみ子と寺山修司を発見した1954年を現代短歌の始まりの年とした、その短歌史観に僕は共感する。 …
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さだまさしと力道山

先週末、NHK「今夜も生でさだまさし」(今や月に1回近いペースで月末の週末に放送されている)を見ていて気になったフレーズ。 さだまさしが、鏡に映った自分の肥った胴体を見て「誰かにそっくりだな…」と思い、後で思い浮かんだその誰かとは「力道山!」だったという。 即座に浮かんだのが「力道山に失礼な!」ということ。力道山を知る全…
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よど号をめぐる数々のドラマ

TV朝日、鳥越俊太郎の『ザ・スクープ』で扱われたのは、今から40年前、1970年春の日航機ハイジャック事件だった。 この番組で明らかになったのは、「福岡空港から北朝鮮の平壌空港へ向かったよど号からの緊急通報を韓国のKCIAが聞き、平壌の管制官になりすまして誘導し、ソウルの金浦空港に着陸させた」ということ。 その無線を交信…
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「思想犯」としてのあさま山荘事件

手元にないが、以前たまたま近所の図書館から借りて読んだ本で知ったこと。著者は国選弁護人としてこの事件の弁護人を担当した弁護士だが、事件当時は幼くてこの事件のことをよく覚えていないという年齢の人である。 その弁護士によって初めて知ったのだが、この裁判では、刑事事件としての最も基本的な手続きが無視されたまま、有罪判決が重ねられていた…
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もう一つの鉄球

あさま山荘事件で山荘の破壊のために使われた鉄球とともに、僕にはもう一つ印象的な鉄球がある。 写真家で物書きの藤原新也の著書『東京漂流』の冒頭近くで描かれた鉄球である。ベストセラーだった頃、新宿の紀伊國屋で平積みになっていたりしたが、僕は天邪鬼なたちで買ったり読んだりしなかった。 読んだのは、ニューヨークから引き揚げて日本…
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革命と銃口

1972年のあさま(浅間)山荘事件当時、大学受験がまだ終っていなかった僕も、一日中テレビに釘付けになった。 この事件で受けた強烈な印象は、「革命は銃口から生まれる」(毛沢東だったか)というレーニン主義的革命観を、高度成長から覚めやらぬ、昭和元禄などと言われていた頃とも遠くない平和日本で垣間見たことだった。 立てこもった連…
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アンポ、ハンタイ!

僕がある意味で「社会」や「国家」に初めて接したのは、ラジオのニュースから流れてきた「アンポ、ハンタイ!アンポ、ハンタイ!…」という、デモのシュプレヒコールである。 1960年だから50年前。物ごころついて間もない頃である。 それが「安保反対」のことであり、安保とは日米安全保障条約のことだとわかったのは10年近くも後のこと…
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