テーマ:文学

津島祐子って

2月23日付の朝日新聞に柄谷行人の「津島祐子さんを悼む」という文が載っていた。津島祐子については太宰治の娘であることを含め昔から知っていたが、作品はほとんど読んだことがなく、今月18日に肺がんで亡くなったことも知らなかった。68歳だった。 柄谷の追悼文から引く。 <日本では知られていないが、津島祐子はノーベル文学賞の有力な候…
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アレントとトウェイン『王子と乞食』

最近読み終えた本: 1 ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫、1994。元は1973年に中央公論。英語の原著は1958年刊) 2 マーク・トウェイン『王子と乞食』(原著は1882年刊) アレントの『人間の条件』は主に電車の中でしか読まなかったので、通読するのに時間がかかった。文庫の帯には「アレント政治思想の…
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自然との相聞

仕事を終えて外に出ると、まだ明るく、空気は日中暑かった名残をとどめていた。例年より暑めの5月下旬、初夏の遅い午後。 そんな大気の中で、先日読んだ高橋睦郎の日本詩歌論の一節を思い出した。 一言で言えば、「自然との相聞」というようなことである。 「自然への挨拶」とも言えるかもしれない。 季節や天候の微妙な変化に対し、…
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日本詩歌史への視角

図書館から借りている高橋睦郎『私自身のための俳句入門』(新潮選書、1992): この現代詩人による俳句論には、(俳壇や歌壇、学界からの評価は不明だが)僕には俳句のみならず、古代の和歌以来の日本詩歌史に関する重要な洞察、指摘が含まれているように思われる。 (ちなみに裏表紙のカバーには、俳人の飯田龍太氏が、著者による芭蕉観の…
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細雪、ミナミゾウアザラシ

今更ながら、谷崎潤一郎の『細雪』を読了。 読むきっかけは、NHKが定時ニュースやクローズアップ現代で谷崎を取り上げていたこと。 1983年制作の映画化作品は見た覚えがあるが、なぜか三女・雪子役の吉永小百合の印象が薄い。(雪子はストーリーの中心に位置するのに、岸恵子、佐久間良子、古手川祐子という他の3人の姉妹役のほうが印象…
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フランスの物部氏&プルースト、カフカ、ジョイス

鈴木道彦訳でマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』「ゲルマントの方 I」を読みかけたが、なかなかその世界に入っていけないので、とりあえず中断。 「ゲルマント…」に興味を抱いたのは、鈴木氏のエッセー本で、作中でゲルマント家はフランス社交界屈指の名家で、その歴史を6世紀にさかのぼり、ブルボン王家よりもはるかに古い由緒を誇る、日…
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けり子とかも子の対談

最近読んだ本から: 1 円地文子・白洲正子『古典夜話 かも子とけり子の対談集』(新潮文庫、2013。元は1975年に平凡社から) 2 清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』(文春新書、2003) 3 竹内正浩『日本の珍地名』(同上、2009) 1の小説家・円地文子は1905~1986年、エッセイスト・白洲正子は…
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グリム兄弟、女子校育ち

表題の両者に関係はなく、ともに最近読んだ本の表題。 すでに図書館に返却した『グリム兄弟』は、Jack Zipesジャック・ザイプスという、執筆当時、フロリダのゲインズビルにある大学の教授をしていた学者の本の日本語訳。兄弟の生誕200年前後のブームの頃の本。グリム童話は、今日、聖書に次いで多く世界中で読まれている本だという。(一時…
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ソフィーの選択

メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞を受賞した同名の映画は見ていないまま、何となく気になっていた。その映画の原作の日本語訳の半分、つまり文庫本で二分冊の上巻を読み終えた。 第二次世界大戦終結から2年後の1947年。アメリカ南部出身で大学を出てすぐニューヨークに住み始めた作家志望の主人公の青年が出会うのが、同じアパートに住む金…
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グリム、バルト、ランボー、トロツキー…

いつものように、本を返したついでに、また借りてきた。 他の分室から取り寄せた2冊のほかにも借りようと見たが、開架式のフランス文学の棚には、プルーストに関するものがなく、隣のドイツやロシアの棚から、閉館間際で時間がない中、選んだのが――。 「童話」化、さらに「ディズニー」化される前の、民話としてのグリム。 アメリカ…
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韃靼(だったん)海峡

「アカシアの大連」に引かれていたのが、安西冬衛の有名な一行詩。 ****** 春 てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。 ****** 教科書などにもよく載っている詩である。 清岡氏の説明に、「韃靼海峡(間宮海峡)」とあって、(かつて見た気もするが)オヤッと思った。「韃靼(タタール)」というと…
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「アカシアの大連」

清岡卓行「アカシアの大連」を読んだ。 同氏の芥川賞受賞作として有名だが、読んでいなかった。1922年(脱線すると、橋川文三、中井英夫、ドナルド・キーン、鶴見俊輔、瀬戸内寂聴などが同年生まれ)、植民地大連に生まれて育った清岡氏の自伝的小説だが、氏が40代半ばを過ぎて書き始めた小説の2作目。 「植民地」と書いたが、清岡氏によ…
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満洲文学、日本の越境文学

直前の日記とコメントで、「近代における日本文学の比較文学的研究」といった観点に思いをめぐらていると、例えばカミュはフランスの植民地アルジェリアで生まれ育ったことを思い出した。 その連想から行くと、『二十歳のエチュード』を残して、1946年に満19歳で自殺した原口統三は、1927年、日本併合後の朝鮮の京城(ソウル)で生まれた。彼は…
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あるハーバード大学生

数年前、朝日新聞の夕刊に取り上げられていたアメリカ人の若者のことが印象に残っている。 まだハーバードの学部の学生で無名の若者。名前も覚えていない。日本の近代文学に惹かれ、夏休みを利用して神田神保町の古書店でアルバイトをしていた。 彼によれば、「神保町は宝の山。毎日が楽しくてたまらない」。また、彼は、「二葉亭四迷が言文一致…
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カフカの生涯

返却前の本の一冊が池内紀『カフカの生涯』(白水uブックス、2010)。 20世紀文学を代表する作家の一人フランツ・カフカ(1883年7月3日-1924年6月3日)の生涯。 カフカは、オーストリア=ハンガリー帝国支配下のボヘミア王国(現在のチェコ)の首都プラハで人生の大半を過ごした。人口の大半がチェコ人だが、支配階級はドイツ人…
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文章がエロティックじゃない

「文章がエロティックじゃないから…」(=ダメ)とは、30数年前、吉本隆明に会いに行った際に、哲学者廣松渉について聞いたときの答えである。当時、廣松は、吉本とともに、学生や若者に人気の高い思想家だった。 ここでの「エロティック」とは、もちろん性的ということではなく、感覚的・感性的な刺激や喚起力がある、「文体」の魅力がある、というこ…
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江藤淳の「フォニイ」論

最近、辻邦生『背教者ユリアヌス』を読みながら(読む前も、読んだ後も)、江藤淳のフォニイ論が気になっていた。 戦後日本を代表する文芸批評家の一人である江藤淳が、「フォニイ」(にせもの、まがい物)として名指しで挙げた一人として、辻邦生の名が鮮明に記憶に残っていたからである。「いったい江藤淳は、なぜ、何をもって、辻邦生らをフォニイと決…
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背教者ユリアヌス

借りていた辻邦生の同名小説は、1978年発行の、1972年の初版から数えて26版。その頃はよく売れていたことがわかる。 この小説の主人公ユリアヌスについて、ウィキペディアによれば、 「フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス(古典ラテン語:Flavius Claudius Julianus フラーウィウス・クラウディウス…
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河野裕子の歌:主題と言葉と

『河野裕子読本』(角川学芸出版、2011) より――。 たとえば君 ガサッと落葉すくふように私をさらって行ってはくれぬか ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 第三のコースに呼ばれ立ちあがる紺の水着のなかの浜木綿(はまゆふ) …
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三つの三島由紀夫論

返却前の本: 1)出口裕弘『三島由紀夫・昭和の迷宮』(新潮社、2002) 2)橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社、2002) 3)岩下尚史『ヒタメン 三島由紀夫が女と逢う時…』(雄山閣、2011) 4)『河野裕子読本』(角川学芸出版、2011) 5)『角川現代短歌集成2 人生詠』(角川学芸…
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寺山修司という宇宙

先週末に見た「ETV特集 寺山修司という宇宙 園子温×穂村弘」で、2人の論者が発見ないし提出した寺山像が面白かった。今年は寺山が死んで30周忌を迎えた年だった。 映画監督・園子温によれば、寺山は同じモチーフないしイメージを、自作の俳句、短歌、映画など別々のジャンルや作品に使いまわしているが、それらが陳腐化せず、どの作品でも新鮮な…
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特攻隊遺詠集

図書館に返す本の1つ。 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編、版元はPHP研究所、1999年刊。 一方、まだ返さないでおこうと思うのが、前に読んだことがあった中井英夫『定本 黒衣の短歌史』。 昭和24~25年の頃を読んでいたら(記憶になかったが)、短歌雑誌編集者として中城ふみ子や寺山修司らの新しい才能と出会う前だから当然だ…
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保田與重郎にとっての「革命」

この日曜日、自宅から最も近い公立図書館分室に初めて行った。引っ越して1年半も経つが、最寄り駅と図書館の途中に自宅があり、休日にわざわざ出かけるのが億劫だった。(引っ越す前は、最寄り駅の隣のビルに図書館分室があって、平日でも仕事帰りに寄れた。つまり、以前が便利すぎたのだ) 閉館間際だったので、あわてていくつか借りた本の中に、 …
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「子宮小説」を読む

瀬戸内寂聴「花芯」を読んだ(同じ題の文春文庫に収載。三笠書房版は1958年)。女性作家が、女のセックスを正面から描いた小説の代表的作品として、以前から気になっており、ずっと読もうと思っていたが、あえて注文まではしなかった。先日、たまたまブックオフで見つけて買ったのだった。 最も強烈に印象的な個所を引用する。 <出産の後、…
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歌人・塚本邦雄の「誕生」

(例によって、週末にやるべき仕事にやる気が起こらず、すだち酎をちびちびやりながら、読みかけだった『塚本邦雄の青春』を読了し、そのまま寝てしまった。すだち酎は初めて飲んだが、意外にも酢橘果汁そのものと違って酸っぱくない) 僕自身は、塚本邦雄については、思潮社の現代詩文庫の歌集(アンソロジー)のほかに、コンピューター科学者でもある歌…
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寺山修司が柄谷行人に

「ところで柄谷さん、男と寝たことはありますか?」と、聞いたことがあった。 雑誌名は覚えていないが、何かの対談である。二人が対談して文章になったのは、これが唯一かもしれない。僕は寺山も柄谷も、分野は違うが二人の稀有な才能に惹かれていたファンだったので、狂喜しながら読んだ。寺山の存命中でまだ元気だった頃だから、30数年も昔のことであ…
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『青春の終焉』より(4)

・教養の時代の終わりは、少なくとも日本においては、明確な日付を持っている。1970年10月20日である。ミシェル・フーコーの『知の考古学』の邦訳が刊行された日だ。 ・思想ということでいえば、1960年代は何よりもまずサルトルの時代だった。…サルトルは、第二次大戦後、植民地解放運動が進んでゆく過程でその最大のイデオローグになっていった…
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『青春の終焉』より(3)

・たとえば勝海舟の曽祖父は越後の農民出身の検校だった。莫大な金をためこみ、旗本男谷家の株を買い、末子の平蔵に同家を継がせたのである。その平蔵の三男小吉が旗本勝家に婿入りし、さらにその長男として生れたのが麟太郎である。樋口一葉の父、大吉もまた直参同心の株を買って士族入りしたことはいうまでもない。…商品のように売り買いされたその身分はといえ…
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『青春の終焉』より(2)

・マルクス主義は時代の前提だった。前提となるその巨大な座標のなかで、実存主義的なものから構造主義的なものへと移行してゆくその移行こそが全世界的な潮流としてあったというのが、おそらく1960年代というものだった。それが、ある程度は1930年代の反復としてあったということも、日本においてのみならず、全世界に共通していえることだった。この実存…
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『青春の終焉』より(1)

三浦雅士『青春の終焉』より――。 ・青春という言葉は、小栗風葉が小説『青春』を『読売新聞』に連載しはじめた1905年の段階においてはじめて、一般に広く流布したにすぎなかった。 ・青春も青年も英語ではユースだが、そのユースに青年という訳語が与えられたのは、1880年、東京基督教青年会(YMCA)が発足した段階においてである…
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