移民を出した日本4:海に国境なし

平得栄三さんは1924年、沖縄県与那国島生まれで、取材の1996年当時73歳。台湾南部の世界有数の港湾都市、高雄の中心街から少し離れた所に住んでいた。

今でこそ1人だが、兄弟全員6人とも台湾で働いていた。その頃、台湾は日本だった。
中学を出て漁師になったが、台湾の花蓮で入隊。本島の沖縄戦があまりに凄まじく、向かうのを断念。戦場を経験しないまま終戦。

戦後、戻った与那国に人はおらず、本島では沖縄戦の惨状を目の当たりにして、台湾に引き返した。台湾は主権が回復され外国になったが、平得さんには今も外国という意識がないという。「台湾と与那国、みな日本の国内と考えているわけですよ」「でも台湾の人たちには自分の気持ちは言わない。叩かれるから」。兄弟は沖縄に戻り、自身は生活のほとんどを海の上で過ごした。「台湾と与那国、みな日本の国」と思うことで折れそうになる気持ちを支えていたのだろうと著者は思う。

平得さんは「魚がいればどこまででも行った。『高雄を出航してフィリピンの東を通り、ニューギニアの北を通り、ソロモン諸島の東側を通ってガダルカナル沖を抜けてニュージーランドに。クジラの親子もよく見ましたよ。氷が見え始めたらその先には行かない』」のだという。――まさに海に国境はない。

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