司馬遼太郎のデタラメを愛した日本人

読みかけの渡辺京二『幻影の明治』の中に司馬遼太郎批判の文がある(2010年4月号『情況』「坂の上の雲」特集収載)。

引いてみると、
<「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧氏族しかいなかった」。不思議な文章、奇天烈な認識というほかはない。(中略)ポルトガルやオランダが日本よりずっと小さな国であるのは小学生でも知っているのだから、私が司馬の正気を疑うのは当然だろう。(中略)
幕末日本を訪れたヨーロッパ人は、当時の日本に展開していた市場経済の豊かさに瞠目し、商品の廉価・品質のよさからして、欧州産品はとてもはいりこめないと感じた。(中略)以上は司馬が『坂の上の雲』を執筆した時点における常識である。>

以下にも司馬が小説の中にぶちまけた夥しい「事実に反する与太話」の例が引かれる。そして、
<司馬のいうことは歴史的無知にもとづくナンセンスとしかいいようがあるまい。
 要するに、ここにいるのは張扇をもって机を摶ちつつ声を張り上げる講釈師なのである。(中略)要するに司馬は、明治日本のゼロから始まった近代化が成功したのは、世界史上の奇跡にほかならないといいたいのだ。(中略)彼は敗戦によって自己喪失した日本人に自信を取り戻させると同時に、明治期の合理的な精神がどうして十五年戦争期の神がかり的精神に退化したのか、現代日本人に反省をつきつけようとしたのだ>

<近代化についての無邪気な肯定、日本が欧米世界以外で唯一、近代化に成功したことの強調、昭和期の政治・軍事指導についての否定、どれをとっても彼の創見と称すべきものはない。彼はただ、敗戦の打撃からすっかり回復し、経済大国として国際社会に擡頭しつつあった当時の日本人の気持ちを認証しただけだろう。>

――この「日本人の気持ち」は、高度成長期だった執筆当時から、21世紀になっても持続していた。NHKは何年もの歳月と多額の費用、膨大な労力をかけてドラマ版『坂の上の雲』を制作し、足掛け3年をかけて放映した。名優・渡辺謙が語る「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、…」というデマゴギー=講釈に、僕自身も何度も耳を傾けてはうっとりとなった。

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