『日本のナショナリズム』の引用3(最後)

・斎藤(隆夫)のリアリズムでは、たとえば天皇制は大きな力をもって現実にあるものだから、日本の立憲政治の中ではそれを使っていくしかない、と考える。近代の国民国家は植民地を手に入れるという戦略をとって帝国主義戦争をおこなってきたのだから、われわれは侵略戦争をやっているんだ、聖戦という美名に隠れて国民の犠牲を見ないのは虚偽だと、はっきり言ったわけである。
 じつは皇族にもこういうリアリズムをもつ人物がいた。日中戦争の最中に、三笠宮は戦争を見て回るように言われ、「若杉参謀」という名前の軍人として中国に派遣された。三笠宮は、その報告書でこう述べた。――この戦争は名義のない戦争であり、日中戦争は、じつは対支21カ条、青島攻撃から始まっている。そしてこの事変は開戦の詔勅もない。天皇の命令がない戦争である以上、継続は認められない、と。

・近代国家は領土・国民・主権の三要素で構成されるが、先に触れたような法制度的なステート・ネーションと、文化が千年を超える長い歴史の中でつくられたカルチャー・ネーション、すなわち文化的な国家とでは大きな違いがある。そこを、(ベネディクト・)アンダーソンのように同じく捉えると大きな間違いを起こしかねない。

・1928年(昭和3)に田中義一内閣がパリで不戦条約を結んだ。ところがその3年後の1931年(昭和6)、日本はこの不戦条約を昭和6年、みずから破った。不戦条約の第1条は、国際紛争解決のための手段としての戦争はこれを放棄する、という平和憲法9条第1項の文言とほとんど同じものだった。つまり、日本がこの条約に反して、満州事変を起こしたのは国際法違反であり、これは侵略戦争だ、と1936年(昭和11)の段階でアメリカのスチムソン国務長官から、『極東の危機』という本の中で批判されていた。この侵略戦争への懲罰として、戦後に憲法9条第1項の戦争放棄条項が設けられたのである。
 第2項の武力不保持という項目は、1941年(昭和16)8月14日にイギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトがナチス・ドイツに向けて「大西洋憲章」を発表したが、その第8項が「好戦国は武装解除する」だった。そしてその後、日本が米英に対して戦争を始めたので、日本もその「好戦国」と認められて、戦後に武装解除されたわけだ。つまり、平和憲法の9条2項、武力不保持は、この「大西洋憲章」による懲罰として日本に与えられたものであった。
 わが国は自国で国民を守るために自衛隊をもつ、ということをうたっていかなければ、国のかたち(憲法)と自衛隊の存在は整合性をもたないと、わたしは考えている。そうでない限り、自衛隊は永遠に平和憲法違反の存在であり続ける。その意味でわたしは改憲論者なのである。

以上

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