『日本のナショナリズム』の引用2

・日露戦争の後、「日本国民は天皇のために戦ったのだ」という考え方が広がることで、キリスト教徒に対する批判が強まっていた。(中略)そのような流れのなかで、加藤弘之は、その著書『吾国体と基督教』(1907年)の中で、こう指摘した――キリスト教徒はわが国体に反する。反国体論者であり、最終的に彼らの立場は天皇を神と認めず、政治的な天皇機関説である、と。そのような考え方に立って、キリスト教抹殺に近い議論を展開した。
 当時、加藤弘之はすでに、初代東大総理をつとめた上で、帝国大学の総長を何年もつとめていた。かつては進化論者で、日本のアカデミズムのトップに立つ人物だった。そのアカデミズムの象徴的人物が、あなたたちは反国体論者である、とキリスト教徒を決めつけたのである。なぜなら、日本は「族父統治である」、つまり原始共同体の部族の父、酋長の存在がいわば天皇なのであると説明した。「国家と君主は同一なり」として、日本という部落においては天皇は現人神であると規定したのである。(中略)この『吾国体と基督教』における「族父統治」の考え方は、立憲政治と天皇機関説に対する批判でもあった。

・この人物(海江田信義)が懐に短刀を呑んでやってきたのだから、加藤はやはり怖かったのだろう。彼は明治天皇にも講義し、また明六社や自由民権運動の後ろ盾になって立憲政治や天皇機関説、天賦人権説を述べた自分の著書『国体新論』や『真政大意』を、みずから発禁にしてしまった。
 こうして加藤弘之は、天皇機関説から天皇現人神説へ大きく転向し、このことは加藤弘之の変節として世の大きな話題となった。

・戦後、GHQは2・26事件関係者を尋問しており、2・26事件は「民主革命を目指すものだった」と判断し、2・26事件に関わった人物は全員、戦犯として起訴されなかったのである。

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