「8・15革命伝説」の皮相

直前の日記に引用した箇所のすぐ前に、以下のようにある。

(前略)ところが、米谷匡史の巧みな考証によれば、46年3月6日にGHQの指示により、新憲法の骨格が「憲法改正草案要綱」として発表されると、丸山の思想にも大きな転換がおこり、「超国家主義の論理と心理」はその日から同月22日までのあいだに執筆された。この段階で、右の憲法研究委員会は憲法の新しい理念を積極的に受け入れ、丸山の発言を受けて宮沢俊義が「八月革命説」を唱え、それが戦後憲法学の根本テーゼとなった。そして丸山ものちに八・一五を戦後民主主義の原点とする発言を繰り返したが、宮沢も丸山も実際には「占領軍による押し付けの後に、それを追認する形でしか転換を自覚できなかった」のに、八・一五を戦後民主主義の原点とするという物語を事後的につくりだすことで「戦後民主主義の<起源>の隠蔽と偽造」を行った、と米谷は丸山を批判している。

――上記のうち、「それが戦後憲法学の根本テーゼとなった」という事態が、衝撃的なほど「浅はか」に思えるのは、戦後70年を迎える今だからなのか。

敗戦直後の日本人には、自前で民主主義の思想と憲法を生み出す力はなかった、ということか。

戦前の日本には、20代前半の若さで明治憲法を脱構築して革命思想を創った北一輝がいたが。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック