サッカーにみるグローバル化と血まみれの豚

サッカーのワールドカップが開催中のせいか、中村敏雄『増補 オフサイドはなぜ反則か』(平凡社、2001)を取り出して再読した。

ずいぶん前に買って読んだ本だが、面白かったので売りも捨てもせず、取っておいた本だった。

表題自体は、スポーツのルールについて、誰しもが抱く、数多くの素朴な疑問の一つ。体育学を専門とする著者は、この疑問に答えるために、サッカーの祖国イングランドにおける「フットボール」のあり方の変遷を追っていく。

前に読んだとき、僕には最も面白かったのが、サッカーやラグビーの祖形である。つまり、この「マス・フットボール」は、近代になって競技化・スポーツ化する以前には、隣り合う村と村、ないし教会管区どうしが、たいてい年に1度、祭りの一環として行った陣取り合戦的なゲームだった。

ボールを持って、街路や畑や山を乗り越え、相手陣地のゴールに先に乗り込んだほうが勝ち。策略として、相手を騙すため、橋があるのに川を渡ったり、女装してスカートの中にボールを入れたりと、何でもあり。

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日本にも蹴鞠があるように、ボールを足で蹴けるゲームは、世界各地にある。例えば、イタリア人は、歴史的にも自国がサッカーの本場だと思っていて、フランスでさえ通じる「フットボール」という言葉が通じない。「カルチョ」こそサッカーのルーツだと思っている。

とはいえ、ワールドカップでやっているようなサッカーは、ルーツがイギリスであり、19世紀以降、その政治、経済の帝国主義的膨張とともに世界各地に伝えられた。そして、今やテレビやネットで数億かそれ以上の人々が観戦するほど。グローバリゼーションも極まれり、というべきかも知れない。

その世界的スポーツのルーツであるイギリス社会に話を戻すと、フットボールで用いるボールは、元々は豚の膀胱を膨らませ、皮を貼った物だった。このボールはよく破裂したという。ゲームを続けるには、そのたびに豚か牛の膀胱を調達しなければならない。

――ゴムやプラスチックが使われる以前のことである。

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