高度成長と生活革命

『戦後日本スタディーズ②「60・70」年代』(紀伊國屋書店、2009年)より:

・小森陽一によれば、吉田拓郎、井上陽水、小椋佳、松任谷由実は、文化史的な「反革命四人組」だった。「傘がない」(1972年)や「中央フリーウェイ」(1976年)など、徹底して自己完結した私生活主義的な歌の世界が、一気に社会全体を覆ったから。

ちなみに、これ以外だが、ウィキったら拓郎の「結婚しようよ」や「旅の宿」も1972年。陽水の「傘がない」は特にそうだったが、当時は「徹底的な私性」の肯定こそが支持され、評価された。

・対抗文化が脱政治化していった契機には、1972年(連合赤軍の総括=リンチ殺人、あさま山荘籠城)があったと上野千鶴子も言う。

・成田龍一は、その頃からカウンターカルチャーでなく、サブカルチャーが言われるようになった。

以上は上記三人による冒頭の座談会での発言。
これ以外には、上野千鶴子の「高度成長と生活革命」という論文を読んで啓発されるものがあった。

・明治以降の日常生活の変化では、家庭のエネルギー革命=家庭電化が大きかった。それはまず、薪炭からガス・電気への台所のエネルギー革命だった。

・家庭電化は家事労働負担を省エネ化したが、省時間化はしなかった。料理に手を掛けるようになり、洗濯回数が増えた…。梅棹忠夫は、これを主婦の「偽装労働」と呼んだ。

・高度成長期と現在の決定的な違いは、グローバリゼーション。資本移転が容易になり、資本は労働力の安い国・地域を求めて絶えず移転し、労働者が残される。この先、企業は好景気でも、国内で雇用回復が起きない状況が常態化していくだろう。

・回顧的に見れば、高度成長期が今日の生活文化の「標準」をかたちづくったが、もはやそれも過去のものである。この歴史的な変化は、一回きりのものであり、二度と繰り返さない。

******

上野千鶴子は上記論文で触れていないが、この高度成長期は、国家主導によるインフラ整備も大きかったと思う。
ユーミンが「中央フリーウェイ」を作り、歌うには、まずもって中央高速道路(後に中央自動車道)が開通していなければならない。東海道新幹線の開通は東京オリンピック直前の1964年。調べていないが、日本中の人々が家電製品を自由に使いこなすには、停電など起こらないだけの発電・送電施設が次々と建設されていったはずである。

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