柔道における「講道館」の相対化

当初、興味のあった力道山との対戦関連の数章の拾い読みで済ますつもりだった『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を、残りの章も読んでしまった(若干飛ばし読み)。

力道山は、ビジネスセンスと政治力と、何より、「自分の成功のためには何でもやる」執念において、天才というか、同時代の人びとの中でずば抜けていた。

日本のプロレス興隆期はちょうどテレビ放送草創期と重なり、マスコミを利用し、特に日本テレビと組むことで国民的人気を博していった。各試合の基本コンテンツは、「最初は巨漢のアメリカ人にやられ放題だが、ついに伝家の宝刀、空手チョップを炸裂させて勝利する」という同じ筋書き。無条件降伏に終わった太平洋戦争とは逆のシナリオ。

一方、柔道は、敗戦後、GHQによって、戦時中は戦争イデオロギーの一翼を担った「武道」とみなされた。そんな中で、戦前は「高専柔道」と京都に本拠を置く半官半民の「武徳会」とともに三派鼎立の一翼に過ぎなかった講道館だけが、GHQに対し武道であることを自ら否定し(ないしその振りをし)、「学校柔道=体育=スポーツ」として生き延びることに成功した。

高専柔道(旧制高校と旧制専門学校の柔道)は、戦後のGHQ主導の学制改革によって消滅した。
また、武徳会は、戦争イデオロギーを支えたとして、GHQにより解散を命じられた。
その結果、明治期に古流柔術を取り入れてできた町道場の一つに過ぎなかった講道館が、柔道そのものとイコールという極度にいびつな勢力図となり、現在に至る。
――これと対照的なのが、空手界。多くの流派が共存しあっている。

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