1948年12月23日

返却前の本:

1)猪瀬直樹『ジミーの誕生日』(文藝春秋、2009年)
2)『沖縄 空白の一年 一九四五-一九四六』(吉川弘文館、2011年)
3)『ある朝鮮総督府警察官の回想』(草思社、2004年)
4)『東アジア海域に漕ぎだす1 海から見た歴史』(東京大学出版会、2013年)
5)『アーミッシュの人びと』(二玄社、2009年9
6)ヒュー・ブラウン『なぜ、人を殺してはいけないのですか』(幻冬舎、2001年)

1)で主張される、現天皇の誕生日12月23日が東京裁判で死刑と判決されたA級戦犯7名の絞首刑が行われた日であることは、誰にも見やすい事実である。だから、それが占領軍のGHQによって、後に天皇となる当時少年だった皇太子と日本国民に忘れられないよう、意図的にこの日が選ばれたという説も、猪瀬氏以外にも主張されてきたようである。

ただ、この本で猪瀬氏は、どこまでが事実で、どこがフィクションかは不明だが、ある見知らぬ女性から「祖母の日記を読んでほしい」と頼まれ、興味を抱いて、その日記と、敗戦直後からA級戦犯処刑までの戦後史にかかわる本や資料をとことん調べていく…。そのプロセスにおいて、著者は、上記の主張を確信するに至る。

日記を持ち込んだ女性の父、祖母の息子は、学習院で当時皇太子のご学友であり、ジミーとは、皇太子が英語の授業で教師だったアメリカ人女性に付けられた英語でのニックネームだった。日記の最後、12月初旬に「ジミーのことが心配…」という内容が、A級戦犯の処刑のことだったのだ、という。

この本を読んだおかげで、僕は、今まで敗戦前後の歴史を固定的に受け止め、占領下の日本で最高権力者だったダグラス・マッカーサーを絶対化していた歴史感覚を修正し、もっと不安定な危うい均衡の中でとらえるようになった。

マッカーサーは絶対者ではなく、正規の法的な指揮命令系統においては、その上に国防長官や、合衆国大統領、さらにはアメリカ以外の他の連合国側諸国の意向など、彼の地位や方針を揺るがしかねないさまざまな勢力を抑えながら、自身の占領政策を、限られた時間枠の中で速やかに遂行しなければならなかった。

彼の方針・政策とは、日本の完全な武装解除、その目的を最も少ないコスト(日本人ゲリラの抵抗による米兵の死傷)で遂行すること。民間人の抵抗なども含め唯一の地上戦であった沖縄戦のような事態を、本土においては絶対に食い止めること。そのためには、天皇制を存続させ、引き換えに東条英機をスケープゴートにして処分する必要がある。そう考え、直ちに実行に移そうとした。

そのためには、日本国民自身が制定する新憲法によって、天皇の地位を規定するとともに、実質的には無力化しなければならない…。

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