アナーキーな感覚:福沢諭吉、中沢新一…

40年前の「あさま山荘」に立て篭もった5人と、警察の機動隊(その背後にいるマスコミと、1億人の国民の大多数)との攻防を、一種の「内戦」と見てしまうような感覚。

――既成の権威・権力に従う事大主義とは逆の自分の感性に思い至ったとき、2人の有名人が想起された。

まず、僕がmixiで形だけは300以上も参加しているコミュのうち、唯一まともにウオッチしている政治思想史家・橋川文三コミュでのある方のコメントで知ったこと。

福沢諭吉が晩年(だったか)、弟子の一人に「理想的な政体は?」と聞かれた際、福沢は、意外にも「無政府主義だよ」と答えたという。

同コミュでそれ以上に詳細な説明や展開はなく、今、改めてウィキってみたぐらいでは、福沢のこの時の応答の真意や、政治思想の詳細はわからなかった。

維新の際は、幕府側に立ち、その後は薩長藩閥政府と距離を保ち、在野を貫いた福沢の後半生の政治思想は、追究に値する学問的な研究テーマではあろう。そして、福沢の思想には、どんな今日的意味があるのか?

宗教人類学者・中沢新一は、もし見田宗介など当時の教授会の強硬な反対意見がなければ、東大教養学部の教授になっていただろう。ただ、初期のオウム真理教への肩入れについて、いまだに(半永久的に)批判的な人たちも少なくない。

「地下鉄サリン事件で、死者が十数人じゃなくて数千人だったら、日本は今頃ずいぶん違っていたんだろうね」と当時の取り巻きの青年につぶやいたことが、後に雑誌で暴露されたこともあった。

この手のつぶやきや想像は、犯罪者やフィクションを書く小説家だけでなく、かなりの人の脳裏をかすめていたかもしれない。ただ、それを発したのが、たくさんの本を書き、影響力のある、大学教授もしている人物となると、一部に問題視する人たちもいる。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック