談志が死んだ、ホントに。そして、笑点

「落語界の風雲児」立川談志さん死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1822789&media_id=88

「ダンシガシンダ」という回文を初めて聞いたのは、彼が初代の司会者だった頃の『笑点』だと思う。言ったのは大喜利メンバーのうちの誰だか忘れたが、当時ある意味、東京落語の世界でライバルだった先代の三遊亭円楽だったかもしれない。

(芸風とキャラが違うライバルでは、話が「うまい」志ん朝や爆笑落語の円鏡がいたが、談志は、落語という枠を超えた存在だった)

この回文は、言われた司会者の談志本人にもウケて、彼が苦笑していたことだけは覚えている。

(一世を風靡し、才能があり、テレビの人気者だった上記の落語家たちの名前が、ワープロソフトの変換リストに一人も登録されていないことに、時の流れと「現代」という時代を感じる)

Wikiってみると、彼が司会を務めたのは、1966年5月の放送開始から69年11月の第1週までの3年半である。現在も出演している先代の林家木久蔵の出演は、見事にその翌週からである。

この「人事」は非常に明快である。談志は才気走っているが、お茶の間には過激である。一方の木久蔵の笑いはたわいなくて、お茶の間向けだし、子どもや老人にもわかりやすい。談志が司会者なら絶対に選ばないだろう(木久蔵を評価するわけがない)。このことは、40年以上も前の当時も、僕は直感的に感じ取った気がする。

ただ、この番組は、談志がやめた後で、より明確に大衆路線に転換し、老人たちに支持されることで、今日までの人気と長寿を続けてきたのだろう。

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