革命と銃口

1972年のあさま(浅間)山荘事件当時、大学受験がまだ終っていなかった僕も、一日中テレビに釘付けになった。

この事件で受けた強烈な印象は、「革命は銃口から生まれる」(毛沢東だったか)というレーニン主義的革命観を、高度成長から覚めやらぬ、昭和元禄などと言われていた頃とも遠くない平和日本で垣間見たことだった。

立てこもった連合赤軍の残党5人のうちの誰かが撃った銃撃によって、警官2名が射殺された。

「革命」という目的を達するためには、武装し、暴力によって、国家権力の暴力装置(今話題の自衛隊や警察)と、究極的には生命を賭けた闘いに勝ち、権力を奪取するしかないという考えが身近に感じられた。

その時代には、キューバ革命に成功した後、新たな革命の地として赴いたボリビアで殺されたゲバラの記憶、伝説がまだ新しかった。

いや、受験勉強に明け暮れた受験生の身で、知的に早熟でもなかった僕が、当時そこまで考えたわけではない。ただ、学生あがりの数名の若者でも、銃さえあれば、瞬間的・局所的には「国家権力と対峙できる」という感覚を受け取った気がする。

ただ、人員や兵器、資機材、資金、国民の支持などあらゆる点で、過激派は圧倒的に劣勢であって、勝ち目はない。

あらかじめ敗北した革命。そこからの出発。

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