ジョン・レノンの死

12月8日はジョン・レノンが凶弾に倒れた命日だった。日米の太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃の日でもあった(アメリカでの開戦は12月7日)。

1941年のパールハーバーはともかく、1980年のジョンの死は、駅の夕刊スタンドで見た記憶がある。犯人のマーク・チャップマンは、熱狂的ファンとも報道されたが、精神疾患を病んでいたという説もある。

1940年生まれのジョン・レノンは享年40歳だった。今の僕から見れば、とても若い死である。また、漱石は満49歳で死んだ。――そんな傑出した芸術家ないし思想家とわが身を比べるのがおこがましいが…。

ビートルズとは、微妙なタイミングで出会い損ねた、というのが正直なところだ。大学時代の後半に同級生だった友人Yは、僕と同年生まれだが早生まれで一学年上だし、東京出身のせいもあってリアルタイムでビートルズファンだった。僕がニューヨークに住んでいた頃、彼は出張で来た際に、ジョンとヨーコが住んでいたダコタハウス(犯行現場でもあった)をいわば聖地巡礼のように訪れたが、僕は一度も行かなかった。

僕は小学校6年の時は中学受験のため世間と隔離された毎日を送っていたから、1966年、中学1年の武道館でのビートルズ初来日公演の頃は、まだビートルズをよく聞いていなかった。中学1年からラジオの深夜放送を聴くようになったのだが、当時は学年が1つ違うだけで、ビートルズファンになるかならないかなど、ずいぶん大きな差が出たと思う。

最初に買ったシングルが「ペニーレイン」。どちらかというとマイナーな曲。高校2年の1970年にビートルズが解散し、映画館で『Let it be』を見たのだった。大学時代にYとは別の友人の影響もあり、ビートルズの主なアルバムを聞いてはまった。

ジョンの死後に住むようになったニューヨークでは、映画「Imagine」を見て感動した…。

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